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紫陽花(あじさい)の名所というと関東では神奈川県の鎌倉を思い浮かべる人が少なくない。なかでも名月院の紫陽花は全国にその名をはせている。この時期、古都鎌倉の時代背景とあいまって観光客が列を成して訪れる。 決して観光地ではないが、最近私がお気に入りの紫陽花寺がある。東京都日野市の高幡不動尊。関東三大不動のひとつで、正式には「真言宗智山派別格本山高幡不動尊金剛寺」。京王線特急で新宿から40分足らずの高幡不動駅前が参道で交通は至って便利。全山紫陽花一色の中を一日中散策しても飽きない。掲句は境内の手入れ作業の僧が紫陽花に埋まりながらホースでたっぷりの水を撒いている景であることは言うまでもない。

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夕焼けは気象学的には大気層を通過する太陽光線が散乱して起きる現象で、朝焼けも同じ原理。青色の光は分散され、波長の長い赤・黄色の光が多く通過するのであるが、その燃えるような夕焼け空は荘厳なまでの趣となる。また、朝焼け・夕焼けとも四季に見られるが、とりわけ壮大なのが夏の時期なので季語となっている。他の季節には「春夕焼」や「秋夕焼」「冬夕焼」と表わす。更に夕焼けは晴天、朝焼けは下り坂の天気の前兆といわれている。(写真は「ゆりかもめ」台場駅より品川倉庫群展望)

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梅雨の間は葉陰に潜んでいた蝶が活発に動き出した。まもなく父の3回忌を迎えるが、その父が愛した小庭は私の妻が引き継いで手入れをしている。今年は例年になくたくさんの蝶が訪れている。高原ではおなじみでも、都心ではほとんど見受けられなかった珍しいツマグロヒョウモンが卵を産み付けに毎日のようにやってきた。昆虫や鳥類、魚類、獣類はオスが美しいのが通例だが、写真のツマグロヒョウモンはメスで、オスは翅の縁の黒さが曖昧で、断然メスが美しい。 「蝶」は春の季語であるが、「梅雨の蝶」「夏の蝶」「秋の蝶」「凍て蝶」などと季節によって変わる。

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うだるような夏の暑さもようやく収まり本格的な秋を迎える。俳句では立秋(8月8日)からが秋だが、そのころが暑さのピークではなかろうか。その暑さを「残暑」と言い季語では秋である。実際の生活の中では秋はやはり9月を過ぎなくては実感できないだろう。掲句の季語は「色なき風」。「色なき」は白であり秋の色なのである。ちなみに春は青、夏は赤(朱)、冬は黒(玄)である。

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「秋灯」は大気の澄んだ秋の夜の灯や明かりであり、心に沁みる静けさや故郷を思い出すような懐かしさがある。「秋ともし」、「秋の灯」ともいう。掲句の一湾は東京湾。大架橋はレインボーブリッジで都心の芝浦からお台場までループしながら結ぶ全長798mの観光名所でもある。二階建てのこの橋は上を高速道路が走り、下は新交通システム「ゆりかもめ」と一般道路、遊歩道になっている。但し自転車は通行できない。このレインボーブリッジのイルミネーションは季節や時間、曜日などで多様な変化をもたせている。特にクリスマス時はロマンチックなパターンで陸側からも船上からも美しい景観を楽しめる。空気が澄んだこれからが特に見ごろである。

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晩秋の連休に北鎌倉駅で降りて寺めぐりに出掛けた。  鎌倉は井戸が多い。浄智寺の参道入り口には「甘露の井」。参拝料をとらない海蔵寺の門前の横に「底脱の井」があり季節はずれのおたまじゃくしが孵って透明な水の中の藻をねぐらにしていた。 『底脱の井のなか秋の蛙の子 洋酔』『鎌倉は井戸あまたなる藪枯らし 洋酔』寿福寺は見所が多い。ここは源頼朝の妻政子が眠り、俳句の巨星である高浜虚子、星野立子の墓がある。虚子の墓石は矢倉と呼ばれる洞のような横穴にあり、ただ「虚子」とだけ彫られていた。夕刻、由比ガ浜で十六夜(いざよい)の月の出を待った。西の空を茜に染めて夕日が落ちてゆく。人々は浜に集まり行く秋を名残惜しんでいた。

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11月7日は立冬。俳句ではここから冬の季語を用いる。しかし実際にはまだ秋の気配が濃く、冬の感じがしない。春の桜と並んで秋の紅葉は日本人の多くが季節の移ろいを愛でる。楓(かえで)、七竃(ななかまど)、満天星躑躅(どうだんつつじ)など赤や朱色に紅葉するが、榎(えのき)、樺(かんば)、落葉松(からまつ)などは黄色に色づく。特に銀杏(いちょう)の黄葉は見事である。古語的表現として名詞が「もみぢ」。動詞は「もみづる」、「もみいづる」。秋の季語とはいえ初冬の風物詩である。この時期が過ぎれば本格的な冬がやってくる。東京西部を走るJR青梅線は立川駅から奥多摩駅まで25駅をつなぐ路線。途中の青梅駅を過ぎた辺りからの多摩川沿いの紅葉が見事。

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11月の半ばに漫画家のはらたいら氏が亡くなり、新聞の社会面にはこれまでの活躍ぶりが記されていた。その通夜に駆けつけたのだが、たくさんの花に囲まれ63歳という若さで生涯を閉じた氏の柔和な笑顔を見るにつけ、残念で仕方が無い。生前、新宿2丁目のとあるスナックで知り合って以来15年ほどのお付き合いになるが、私が体の不調を愚痴ると直ぐにも自分が通っている病院や診療所を紹介してくれたり、何かとお世話になった。自らは酒が体を蝕んでいることを知っていながら豪快な呑み方をしていた。近年は肝臓を悪化させ、また男の更年期障害の件で闘病中と聞いていた。その頃のスナックは今既に無く、仲間の一人もあちらの世に先立ち、同じ年齢の者としてなにやら寂しい年の暮となってしまった。